原子力災害派遣ー原発敷地内に於ける放水冷却隊(自衛隊)員の活動を思う [名リーダーを思う]
原子力発電所敷地内で命がけなのに淡々と活動した自衛隊員がいた。
3月11日運転中の福島第1原子力発電所1~3号機は東日本大地震の為自動停止し、津波のトドメもあり、全電源喪失・冷却停止状態となった。12日1号機水素爆発、14日第3号機、2号機も爆発。休止中の4号機も。多量の放射線が放出される緊急事態となった。そのような状況の中で私は3月17日 第3号機の使用済み核燃料プールの水位が低下し陸自ヘリ2機が空中から冷却用水を投下する中継TV画面に釘付けになった。決死の飛行に頑張れ、無事でと思わず心の中で叫んだ。その後東京消防庁のハイパーレスキュー隊の消防車の活躍や民間の生コン車の活躍にも目を奪われながら、状況が良くわからない、事態を消化できない儘不安を感じ続けた。自衛隊の消防車が現場にいることは分かっていたがあまり出番がないのかなぐらいの感じでいた。
初耳の放水冷却隊、現地調整所長
放水冷却隊なるものを指揮されたT陸将補のお話を聞く機会があった。それによると放水冷却隊(陸海空自衛隊の消防車12台)は17日~21日、活動し、延べ5回236tを放水し、隊員は使命感に燃え淡々と”出撃”し1名の犠牲もなく任務を果たしたとの事であった。「任務完遂・無事帰還できたのは今までに築き上げた自衛隊の躾・文化の素晴らしさ並びに陸・海・空の隊員達の自らの危険を顧みることのない献身的な活動の賜物でした」との言葉に深い感銘を受けた。T陸将補は現地調整所長として4夜5日の完全2交代制で勤務し、上番中に原子炉への放水を指揮。
命がけなのに淡々とした”出撃”
私は自分の不明を大いに恥じると共にT陸将補の話をもとに派遣隊員の命がけなのに淡々とした”出撃”について思いを巡らした。
尻込みしてもおかしくない大きな危険
国家としては原子炉への冷却水注入はあらゆる手段を尽くしてやらねばならない緊急の大事業であった。全国から集めた放水車は持てる力をすべて発揮するよう求められた。放水冷却隊の放水車の放水距離は短く、原子炉に何処の機関よりも近づかねばならない。放射線量も多い、原子炉の爆発などあれば一番危ない。隊員は肌で感じていたはず。
にもかかわらずその危険の恐怖を克服し、淡々と”出撃”していったのは何故か?
使命感
T陸将補談:
急造の寄せ集め部隊であり、このための訓練を行う時間もなかったが、大震災派遣隊員としての「見えない使命感を共有していた」。
被災の現状を前にしてこれ以上の被害は絶対この手で食い止めるという使命感が危険の恐怖を打ち消したのか?又自衛官は任官時に、「(略)ことに臨んでは危険を顧みず身を以て責務の完遂に務め国民の負託に応えること」を宣誓している。その宣誓をもとに危険を顧みず国家・国民・同僚のために活動する,普段の教育・訓練で培った自己犠牲の精神があったのか?恐らく両方であろうと思う。
敬礼に託す思い
T陸将補談:
所長は原子力災害派遣部隊の指揮官。安全を自ら確認して出撃を命じ、毎回スタートポイントで見送った。隊員は敬礼し、フルフェースの防護マスク越しに、目を合わせ、ガッツポーズ等をして心意気を示してくれた。この時ほど隊員が頼もしく、頭が下がる思いをしたことはない。私は心を込めて答礼した。
自衛官にとって敬礼は礼式で定めれた義務的事項。しかし、形式の中に心の交流を当然と考える躾や文化がある。この場合が将にそれだと思う。
かって保安大学校卒業式で吉田元総理が卒業生に対し「諸官達は恐らく自衛隊在職中国民から歓迎されることはないであろう。諸官達が歓迎(必要と)されるのは国家が危機の時。このことを覚悟して奉職せよ。」と式辞(主旨)を述べられた。この言葉は(幹部)自衛官なら骨身にしみるぐらい先輩から聞かされ、自らの志を励ます言葉としたと聞く。
自分の在職間に国家が自分を必要とする緊急のときは来ないかもしれない、しかしその時に備え我々は黙々と愚直に務めを果たす。自らの向上研鑽と共に後輩を鍛え、後輩に引き継ぐ。同じ志をもつ誰かがその時に働いてくれる。その事を信じて先輩から営々と受け継いできた。これからも引き継ぐ。その時は来て欲しくないが必ず来る。今が”その時”との思いを相互に確認する敬礼ではなかったか・・・。
チームとしての連帯感
乗員同志の連帯感。乗員3名のうちローテーションを考え2名出動とした。誰が残るか、行くかで泣ける会話があった。一つの例。「自分が行くので、もう一人は〇〇3曹頼む。」と先任者の班長。「だめです。班長は残ってください。何かあったら新婚の奥さんに合わせる顔がありません。」と、後輩たち。相手を思いやり、一人ではない仲間意識。
化学防護車の楯と戦車の後詰め
放水冷却隊は増強中央即応集団の化学防護車に先導され、荒れた道路を1時間かけて前進、化学防護車2両が放水現場へ先行し安全点検。そののち、後方の待機場所にいる放水車が1台ずつ交代しながら前進し放水。12台がすべて終わるまで化学防護車は2時間ほど現場張り付き。安全確認後先導で帰還。瓦礫除去等あらゆる事態に備えてドーザー付き戦車2両も待機。出動はなかったが、訓練を積み重ね神業の域に達っしていた。
20日には2回の出動、1回の出動に8時間かかった。隊員の極度の緊張とタイベックスーツ、鉛ベスト、マスク等着用が隊員達の体力を擦り減らし明らかに限界。にもかかわらず不満一つ漏らさず、士気高く任務遂行。
楯の化学防護車を見て、我々よりもっと厳しい活動をしている者がいる。弱音は吐けない。余震で瓦礫等に埋っても後詰めの戦車が助けてくれる と隊員は落着きと安心感を持ったに違いない。
短期間に英知を結集した万全のフォロー体制
原子力災害仕様の服装・装具、タングステンシートを操縦席に張り巡らした消防車、モニタリングシステム、線量計測、放射能除染、メンタルヘルス、医者の問診、緊急警報システム等を短い期間に整え、放水冷却隊が無事に任務を完遂出来る環境を整えた。隊員は心強く動けた。
一元的活動のために必須な機能ー現地調整所
多くの者が感じたであろう、秩序が乱れた中で活動している時の非効率の問題。秩序が乱れた状態で活動している時に不測事態が発生した場合の危うさと不安感等の問題が解消した。隊員すべてが関係部隊や機関等の活動情報を共有でき、無用の混乱を避け、安心感と余裕を持てるようになった。
結び
T陸将補は「我が国の防衛という最も厳しい任務に目標を設定し、部隊を錬成してきていたが故に、原子力災害派遣という任務にも直ちに対応できた。」と語られた。言い換えれば普段やってない事は、一朝事ある時に出来ない と言う事。 含蓄ある言葉を肝に銘じ、隊員の頑張りにエールを贈り、自衛隊の更なる前進を期待したい。
今回の原子力災害派遣ー極限災害派遣は自衛隊の底力を試された試練でもあった。使命感を継承する心と姿があるー自分がヒーローになるためではなく、愚直に誠実に力を磨き、務めを果たす自衛官がいるーことに深い安堵を覚える。
附言
現地調整所の話が出たところで一言。現地調整所の設置は18日の原子力災害対策本部の海江田経済産業大臣(当時)及び統合対策本部の細野内閣総理大臣補佐官(当時)の指示及びそれらを合わせる形での20日の原子力災害対策本部長(菅内閣総理大臣:当時)の指示が根拠であるという。其の指示の趣旨は「現場における具体的な実施要領について現地調整所に於いて自衛隊が中心となり、関係行政機関等との間で調整の上、決定すること。」「作業の実施要領については現地に派遣されている自衛隊が現地調整所に於いて一元的に管理する事」と言う。
現場の活動部隊・機関や隊員の目線に立った時、自衛隊を中心とする統制・調整(指揮ではない)の一元化は国家や自治体の危機管理上、極めて有意義である。自衛隊の緊急展開即応能力を活用でき、現地の部隊・機関等及び隊員が活き活きと活動できるから・・。
以上。
3月11日運転中の福島第1原子力発電所1~3号機は東日本大地震の為自動停止し、津波のトドメもあり、全電源喪失・冷却停止状態となった。12日1号機水素爆発、14日第3号機、2号機も爆発。休止中の4号機も。多量の放射線が放出される緊急事態となった。そのような状況の中で私は3月17日 第3号機の使用済み核燃料プールの水位が低下し陸自ヘリ2機が空中から冷却用水を投下する中継TV画面に釘付けになった。決死の飛行に頑張れ、無事でと思わず心の中で叫んだ。その後東京消防庁のハイパーレスキュー隊の消防車の活躍や民間の生コン車の活躍にも目を奪われながら、状況が良くわからない、事態を消化できない儘不安を感じ続けた。自衛隊の消防車が現場にいることは分かっていたがあまり出番がないのかなぐらいの感じでいた。
初耳の放水冷却隊、現地調整所長
放水冷却隊なるものを指揮されたT陸将補のお話を聞く機会があった。それによると放水冷却隊(陸海空自衛隊の消防車12台)は17日~21日、活動し、延べ5回236tを放水し、隊員は使命感に燃え淡々と”出撃”し1名の犠牲もなく任務を果たしたとの事であった。「任務完遂・無事帰還できたのは今までに築き上げた自衛隊の躾・文化の素晴らしさ並びに陸・海・空の隊員達の自らの危険を顧みることのない献身的な活動の賜物でした」との言葉に深い感銘を受けた。T陸将補は現地調整所長として4夜5日の完全2交代制で勤務し、上番中に原子炉への放水を指揮。
命がけなのに淡々とした”出撃”
私は自分の不明を大いに恥じると共にT陸将補の話をもとに派遣隊員の命がけなのに淡々とした”出撃”について思いを巡らした。
尻込みしてもおかしくない大きな危険
国家としては原子炉への冷却水注入はあらゆる手段を尽くしてやらねばならない緊急の大事業であった。全国から集めた放水車は持てる力をすべて発揮するよう求められた。放水冷却隊の放水車の放水距離は短く、原子炉に何処の機関よりも近づかねばならない。放射線量も多い、原子炉の爆発などあれば一番危ない。隊員は肌で感じていたはず。
にもかかわらずその危険の恐怖を克服し、淡々と”出撃”していったのは何故か?
使命感
T陸将補談:
急造の寄せ集め部隊であり、このための訓練を行う時間もなかったが、大震災派遣隊員としての「見えない使命感を共有していた」。
被災の現状を前にしてこれ以上の被害は絶対この手で食い止めるという使命感が危険の恐怖を打ち消したのか?又自衛官は任官時に、「(略)ことに臨んでは危険を顧みず身を以て責務の完遂に務め国民の負託に応えること」を宣誓している。その宣誓をもとに危険を顧みず国家・国民・同僚のために活動する,普段の教育・訓練で培った自己犠牲の精神があったのか?恐らく両方であろうと思う。
敬礼に託す思い
T陸将補談:
所長は原子力災害派遣部隊の指揮官。安全を自ら確認して出撃を命じ、毎回スタートポイントで見送った。隊員は敬礼し、フルフェースの防護マスク越しに、目を合わせ、ガッツポーズ等をして心意気を示してくれた。この時ほど隊員が頼もしく、頭が下がる思いをしたことはない。私は心を込めて答礼した。
自衛官にとって敬礼は礼式で定めれた義務的事項。しかし、形式の中に心の交流を当然と考える躾や文化がある。この場合が将にそれだと思う。
かって保安大学校卒業式で吉田元総理が卒業生に対し「諸官達は恐らく自衛隊在職中国民から歓迎されることはないであろう。諸官達が歓迎(必要と)されるのは国家が危機の時。このことを覚悟して奉職せよ。」と式辞(主旨)を述べられた。この言葉は(幹部)自衛官なら骨身にしみるぐらい先輩から聞かされ、自らの志を励ます言葉としたと聞く。
自分の在職間に国家が自分を必要とする緊急のときは来ないかもしれない、しかしその時に備え我々は黙々と愚直に務めを果たす。自らの向上研鑽と共に後輩を鍛え、後輩に引き継ぐ。同じ志をもつ誰かがその時に働いてくれる。その事を信じて先輩から営々と受け継いできた。これからも引き継ぐ。その時は来て欲しくないが必ず来る。今が”その時”との思いを相互に確認する敬礼ではなかったか・・・。
チームとしての連帯感
乗員同志の連帯感。乗員3名のうちローテーションを考え2名出動とした。誰が残るか、行くかで泣ける会話があった。一つの例。「自分が行くので、もう一人は〇〇3曹頼む。」と先任者の班長。「だめです。班長は残ってください。何かあったら新婚の奥さんに合わせる顔がありません。」と、後輩たち。相手を思いやり、一人ではない仲間意識。
化学防護車の楯と戦車の後詰め
放水冷却隊は増強中央即応集団の化学防護車に先導され、荒れた道路を1時間かけて前進、化学防護車2両が放水現場へ先行し安全点検。そののち、後方の待機場所にいる放水車が1台ずつ交代しながら前進し放水。12台がすべて終わるまで化学防護車は2時間ほど現場張り付き。安全確認後先導で帰還。瓦礫除去等あらゆる事態に備えてドーザー付き戦車2両も待機。出動はなかったが、訓練を積み重ね神業の域に達っしていた。
20日には2回の出動、1回の出動に8時間かかった。隊員の極度の緊張とタイベックスーツ、鉛ベスト、マスク等着用が隊員達の体力を擦り減らし明らかに限界。にもかかわらず不満一つ漏らさず、士気高く任務遂行。
楯の化学防護車を見て、我々よりもっと厳しい活動をしている者がいる。弱音は吐けない。余震で瓦礫等に埋っても後詰めの戦車が助けてくれる と隊員は落着きと安心感を持ったに違いない。
短期間に英知を結集した万全のフォロー体制
原子力災害仕様の服装・装具、タングステンシートを操縦席に張り巡らした消防車、モニタリングシステム、線量計測、放射能除染、メンタルヘルス、医者の問診、緊急警報システム等を短い期間に整え、放水冷却隊が無事に任務を完遂出来る環境を整えた。隊員は心強く動けた。
一元的活動のために必須な機能ー現地調整所
多くの者が感じたであろう、秩序が乱れた中で活動している時の非効率の問題。秩序が乱れた状態で活動している時に不測事態が発生した場合の危うさと不安感等の問題が解消した。隊員すべてが関係部隊や機関等の活動情報を共有でき、無用の混乱を避け、安心感と余裕を持てるようになった。
結び
T陸将補は「我が国の防衛という最も厳しい任務に目標を設定し、部隊を錬成してきていたが故に、原子力災害派遣という任務にも直ちに対応できた。」と語られた。言い換えれば普段やってない事は、一朝事ある時に出来ない と言う事。 含蓄ある言葉を肝に銘じ、隊員の頑張りにエールを贈り、自衛隊の更なる前進を期待したい。
今回の原子力災害派遣ー極限災害派遣は自衛隊の底力を試された試練でもあった。使命感を継承する心と姿があるー自分がヒーローになるためではなく、愚直に誠実に力を磨き、務めを果たす自衛官がいるーことに深い安堵を覚える。
附言
現地調整所の話が出たところで一言。現地調整所の設置は18日の原子力災害対策本部の海江田経済産業大臣(当時)及び統合対策本部の細野内閣総理大臣補佐官(当時)の指示及びそれらを合わせる形での20日の原子力災害対策本部長(菅内閣総理大臣:当時)の指示が根拠であるという。其の指示の趣旨は「現場における具体的な実施要領について現地調整所に於いて自衛隊が中心となり、関係行政機関等との間で調整の上、決定すること。」「作業の実施要領については現地に派遣されている自衛隊が現地調整所に於いて一元的に管理する事」と言う。
現場の活動部隊・機関や隊員の目線に立った時、自衛隊を中心とする統制・調整(指揮ではない)の一元化は国家や自治体の危機管理上、極めて有意義である。自衛隊の緊急展開即応能力を活用でき、現地の部隊・機関等及び隊員が活き活きと活動できるから・・。
以上。
2011-12-18 18:54
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