自衛隊の3km圏内原子力災害派遣行動を思う [名リーダーを思う]
昨日(26日)、TVでは東日本大震災被害者の3km圏内一次立ち入り・帰宅を報じていた。震災当日にタイムスリップした中で悲しみや嘆きを新たにされながら区切りをつけ前に進もうとする姿に深い同情の念を覚え、画面に見入った。報道機関も恐らく初めて立ち入ったのだろうと思った時、殆ど報道されていない従って余り知られていない、自衛隊の3km圏内の派遣行動ー献身・勇気・挑戦ーが私の中で鮮明に浮かび上がった。
行動部隊は千葉県習志野市の空挺部隊と福岡県飯塚市の施設群。平成23年5月下旬~6月上旬、福島原発直近の3km圏内大熊町でのこと。
勿論前記両部隊を含む自衛隊は発災直後から災害派遣。原子力災害派遣は4月中旬から30Km圏内で実施し、最後に残ったのが3km圏内の大熊町。
3km圏内は立ち入り禁止。発災74日目の自衛隊投入、ご遺体は放置され、被災現場は手つかずのまま。遺族・被災者の方々の無力感・ぶっつけようのない怒りの深さは想像に余りある。
放射線は他地域に比べると断トツに高く高強度被曝の恐れ、水素爆発の恐れ、余震は続き大地震の恐れ、大津波の恐れ・・などなどを政府や自衛隊はじめとする出動機関のだれもが感じていたはず。
行動するとなったら、いざというときの脱出の手立て、安全な被曝管理、高い放射線を浴びての長期間(時間)行動、タイベック着用等の制約と任務行動とのバランス、特に建設機械操縦手・・・などなどの可能性が問題としてあったはず。
立ち会える人はいない、民間の機械力はない、がれきは動かせないなどの制約があり、満足できる捜索・作業が出来るのだろうかとの疑問もあったはず。
各級指揮官はじめ隊員のみなさんも、状況や情報がない中で先陣を切る戸惑い?大丈夫か?の不安や逃げたい気持ち?等があったはず(失礼!)。
でも①両部隊は当たり前で、何事もなかったように立ち上がり、行動し任務を完遂した。
②施設群、特に先遣中隊はそれが”任務”と空挺部隊に先行して進入、2日間で地震で壊れた道路を修復し、作業拠点を作り行動を助けた。
③空挺部隊は立ち入り禁止地域で自分たちしか行動しないからこその”真に被災地(者)の心で”の作業標準を作り、全隊員が誇り高くそれを守り、質の高い捜索活動を行った。施設群も同様である。
当初に考えられた数々の”やらなくて済む理由”を自衛隊が一丸となってクリアーし現場の部隊が任務を立派に達成した。この自衛隊員の”献身、勇気、挑戦”を感じるのは私一人ではないと思う。
ここで私が書きたいのは何故①②③が出来たのかについて私なりの感想である。伝えたい否伝えるべき と思っているから・・・。
施設群長の話で特に心うたれたこと2つ:
その1)水素爆発?があり、緊急事態対応を取った時のこと。自分は作業現場から2kmほど離れた内陸の地点にいた。作業現場は原発のすぐ隣。最悪の作業現場が浮かぶ・・・。『もしこのまま逃げたら、一生後悔する』と部隊の避難方向とは逆方向に、直ぐ後戻りした。ドライバーも黙って従ってくれた。今思うとドライバーもパニックだったのか道を間違えたりしたが部隊・隊員の無事な姿をこの目で見たときは涙が出た。』
その2)『立ち入り禁止区域のため、他の地域より完成度を追求した。』
中隊長さんの話で特に心うたれたこと2つ:
その1)群が出してくれる放射線情報をすべて公開した。『大丈夫一緒にやろう、行きたくないものは残れ、そのことで扱いを変えたりしないから安心しろ。みんなを無事飯塚につれて帰るのが俺の仕事だから・・』と本気だった。 全員最後まで従ってくれた。
その2)阪神淡路災害派遣出動の際、現場で中隊長から指導されたこと。『被災地の方は笑って話していても心のうちは複雑だ。謙虚な心を持て。だらだらするな、飯はトラックのかげで食え・・など。』が現地に立つとすぐ頭に浮かび、隊員に指導した。
以上から浮かび上がるキーワードと感想
キーワードは任務意識、隊員の安全第1、被災地(者)のこころで の3つ。
指揮官の災害派遣における任務意識の中に被災者の心でー国民の負託に応える役割の実践という視点が受け継がれてきた。その結実が『立ち入り禁止区域だから高い完成度を追求』した作業であり、隊員の実行である。
隊員の任務意識の中に規律・団結・士気良好な部隊の一員としての前向きさがあり、普段の訓練で培った精神要素例えば施設部隊は『没我支援:敵陣近く、他の部隊より前に出て支援』の発露がある。
本気で隊員の安全を思い、追求する施策や行動が隊員の安心や指揮官に対する信頼を生み、国民の負託に応える大きな仕事を生む。
以上。
関連:福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて
行動部隊は千葉県習志野市の空挺部隊と福岡県飯塚市の施設群。平成23年5月下旬~6月上旬、福島原発直近の3km圏内大熊町でのこと。
勿論前記両部隊を含む自衛隊は発災直後から災害派遣。原子力災害派遣は4月中旬から30Km圏内で実施し、最後に残ったのが3km圏内の大熊町。
3km圏内は立ち入り禁止。発災74日目の自衛隊投入、ご遺体は放置され、被災現場は手つかずのまま。遺族・被災者の方々の無力感・ぶっつけようのない怒りの深さは想像に余りある。
放射線は他地域に比べると断トツに高く高強度被曝の恐れ、水素爆発の恐れ、余震は続き大地震の恐れ、大津波の恐れ・・などなどを政府や自衛隊はじめとする出動機関のだれもが感じていたはず。
行動するとなったら、いざというときの脱出の手立て、安全な被曝管理、高い放射線を浴びての長期間(時間)行動、タイベック着用等の制約と任務行動とのバランス、特に建設機械操縦手・・・などなどの可能性が問題としてあったはず。
立ち会える人はいない、民間の機械力はない、がれきは動かせないなどの制約があり、満足できる捜索・作業が出来るのだろうかとの疑問もあったはず。
各級指揮官はじめ隊員のみなさんも、状況や情報がない中で先陣を切る戸惑い?大丈夫か?の不安や逃げたい気持ち?等があったはず(失礼!)。
でも①両部隊は当たり前で、何事もなかったように立ち上がり、行動し任務を完遂した。
②施設群、特に先遣中隊はそれが”任務”と空挺部隊に先行して進入、2日間で地震で壊れた道路を修復し、作業拠点を作り行動を助けた。
③空挺部隊は立ち入り禁止地域で自分たちしか行動しないからこその”真に被災地(者)の心で”の作業標準を作り、全隊員が誇り高くそれを守り、質の高い捜索活動を行った。施設群も同様である。
当初に考えられた数々の”やらなくて済む理由”を自衛隊が一丸となってクリアーし現場の部隊が任務を立派に達成した。この自衛隊員の”献身、勇気、挑戦”を感じるのは私一人ではないと思う。
ここで私が書きたいのは何故①②③が出来たのかについて私なりの感想である。伝えたい否伝えるべき と思っているから・・・。
施設群長の話で特に心うたれたこと2つ:
その1)水素爆発?があり、緊急事態対応を取った時のこと。自分は作業現場から2kmほど離れた内陸の地点にいた。作業現場は原発のすぐ隣。最悪の作業現場が浮かぶ・・・。『もしこのまま逃げたら、一生後悔する』と部隊の避難方向とは逆方向に、直ぐ後戻りした。ドライバーも黙って従ってくれた。今思うとドライバーもパニックだったのか道を間違えたりしたが部隊・隊員の無事な姿をこの目で見たときは涙が出た。』
その2)『立ち入り禁止区域のため、他の地域より完成度を追求した。』
中隊長さんの話で特に心うたれたこと2つ:
その1)群が出してくれる放射線情報をすべて公開した。『大丈夫一緒にやろう、行きたくないものは残れ、そのことで扱いを変えたりしないから安心しろ。みんなを無事飯塚につれて帰るのが俺の仕事だから・・』と本気だった。 全員最後まで従ってくれた。
その2)阪神淡路災害派遣出動の際、現場で中隊長から指導されたこと。『被災地の方は笑って話していても心のうちは複雑だ。謙虚な心を持て。だらだらするな、飯はトラックのかげで食え・・など。』が現地に立つとすぐ頭に浮かび、隊員に指導した。
以上から浮かび上がるキーワードと感想
キーワードは任務意識、隊員の安全第1、被災地(者)のこころで の3つ。
指揮官の災害派遣における任務意識の中に被災者の心でー国民の負託に応える役割の実践という視点が受け継がれてきた。その結実が『立ち入り禁止区域だから高い完成度を追求』した作業であり、隊員の実行である。
隊員の任務意識の中に規律・団結・士気良好な部隊の一員としての前向きさがあり、普段の訓練で培った精神要素例えば施設部隊は『没我支援:敵陣近く、他の部隊より前に出て支援』の発露がある。
本気で隊員の安全を思い、追求する施策や行動が隊員の安心や指揮官に対する信頼を生み、国民の負託に応える大きな仕事を生む。
以上。
関連:福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて
2011-08-27 17:36
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